TRPGって本当に自由なの?

2023年12月24日

最近、ネット上などで「TRPGって自由って言うけど、自由じゃないよね」って話を見かけます。

僕自身も、以前ブログなどで「TRPGは自由だ」と言いました。しかしよくよく考えると自由じゃないのかもしれません。

そもそも自由という意味を調べてみると『他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること』らしく、「TRPGって自由じゃない」という意見の人に話を聞き、ネットで見かけた中にはこういう意見がありました。

  • 依頼などを受ける際に、『断ってはいけない空気がある』
  • シナリオを『クリアしなくてはいけない空気』がある。
  • 場合によっては自分の思い通りのプレイができず、仲間のパーティや、その場の空気を読まなくてはいけないことがある。

なるほど。
これが『正しいかどうか』や、『自由と好き勝手は違う』と言うのは置いといて、『他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること』って風に考えると、確かに自由じゃないとは思います。

ただ、実際に『自分の思うままにふるまってしまう』と、そのTRPGは崩壊してしまう確率が多いです。

そう考えるとTRPGは『自由』ではなく、『自由度が高い』という風に考えるべきなのかもしれません。

自分の考え方としても、『自由度が高いプレイ』を推奨します。じゃあ、この『自由度が高いプレイ』ってなんなのかっていうのを自分なりの意見で紹介します。

自由度が高い

そもそも、僕が考える、自由度が高いプレイと言うのは『決められた中で自由にプレイしてもらう』というものです。

例えば、ゲームマスターが物語の導入で「あなた達は親友のジェニファーの捜索を依頼されます」と説明した時に「断りたい! メンドクサイ!」って思う人もいるかもしれません。

でも、そこは従ってほしいです。何故かというと、ストレートに言ってしまうとゲームマスターが困っちゃうからです。
もちろん、断ることで王道からズレたり、もしかしたら、別のシナリオルートが発生するかもしれませんが、9割のTRPGが依頼を受けて、そこから物語が始まります。なので、ここを断ってしまうと話が始まりません。

ドラゴンクエストで例えるなら、魔王を倒しに行かずに町の中を探索しているのと一緒ですし、スーパーマリオでいったら、最初のスタートボタンすら押さないでタイトル画面を見ている感じです。

で、その親友のジェニファーを捜索する中で、自由に好きな人に話しかけたり、自分なりのアイデアを出したりして、自由にプレイを楽しんでほしいです。

他にも、明らかに非常識すぎる行動(意味もなく道端の人を適当に射殺していくなど)をしようとした場合、仲間のNPCを500人ぐらい増やすなどした時、ゲームマスターに止められたら従ってほしいし、基本的にはゲームマスターが「それはちょっと困る」と言ったときは、素直に受け入れてほしいです。

もちろん、これは極端な例で、依頼を受けた後に『途中の選択肢が一個しかない』、『決められたシナリオがあり、それを崩すことが一切できない』という状況も自由度がないのかもしれません。

ゲームマスターにもよるけど……

ただ、この感覚はちょっとケースバイケースなので、かなり説明が難しい!

確かに、「いや、そこを言いくるめるのがゲームマスターだろ」とか「そういう行動をした時に、うまくアドリブを入れるのがTRPG」っていう意見もわかりますし、『プレイヤーを思い通りに動かしたいゲームマスター』とかに出会ったとき、すごくつまんなく感じてしまうこともあります。

だからこればっかしは、なんとも言えないのですが、最初の導入や依頼に関しては従ってあげた方がいいです。『プレイヤーを思い通りに動かしたい』とか『言っていることがことがめちゃくちゃすぎるゲームマスター』とかなら気持ちはわかるのですが、ゲームマスターが困っている時に、そこをつつくのは違いまう。
ゲームマスターは敵ではなく(僕の中では)、一緒に遊ぶ友達なので、友達を困らせてしまうのもどうなのでしょうか……。

もし、「うちのキャラはそういうことしない」って言うのであれば」、依頼に関与するキャラを作りましょう。

キャラクターシートについてはこちらの記事をどうぞ→クトゥルフでキャラ作成する時に気をつけることってある?

ただ、明らかにおかしい依頼の場合(街中を爆破したり、人々を虐殺するなど)とかは、ゲームマスターも最初にプレイヤーに説明しましょう(普通の依頼だとしても、紹介文とかに書いておくのも良いと思います)

ゲームマスターにも反撃する自由がある

じゃあ、決められた中でしか、プレイヤーは自由にプレイできないかって話ですが、別に自由にやっていいと思います。ただ、ゲームマスターにも『反撃する自由がある』というのを忘れないでください。

これは自分が経験したことのある話なのですが……。

例その1

ゲームマスター「では、この事件を解決していただきたい」

プレイヤー「嫌だなぁ! 帰る!」

ゲームマスター「残念! じゃあ、他のプレイヤーは探索をして、あなたは日常のロールプレイを好きにしていいです。途中で他の仲間に合流したかったら好きに合流できます」

例その2

ゲームマスター「~~な感じで町長さんは、貴方たちに説明し、依頼をしました」

プレイヤー「こいつなんかムカつくなぁ。銃で撃つわ」

ゲームマスター「お、じゃあ、今から町長の側近達×5と熱いバトルがはじまります!」

例その3

プレイヤー「そこら辺の人を射殺します」

ゲームマスター「あ、じゃあ、幸運の半分で判定してください。警察かその街の怖い人があなたを倒しに行きます」

とか、適当に言うこともできます。本当に適当な時は「依頼を受けないと、町長が大魔法(もしくは核ミサイル)を使って、この地球を爆破させます」とか、「貴方が断って帰ろうとすると、いつまにか頭に埋め込まれた爆弾が警戒音をだします」とか言います。

などなど、プレイヤーが自由であるなら、ゲームマスターも自由にやってもいいのを忘れては駄目です。

まとめ

そんなわけで、『自由なプレイ』と『自由度なプレイ』。好きなスタイルを選んでくださいと言いたいところですが、自由度が高いプレイをやってほしいです。

これは経験上の話でしかないのですが、やっぱり最初の導入を断ったり、『明らかな本筋を曲げることを押し通す』は、初対面通しだと変な空気になります(もちろん提案するだけはいいと思いますし、変な行動にも『意味』があるなら提案する価値はあります)

これは違う! それは違うだろ!

もちろん、これは黒か白かの話ではないです。

この記事を見たときに「それは自由度の話じゃないだろ!」みたいなことを思うかもしれません。ただそれはあなたの中での自由度です。
『自由度』と考える人の意見に

A:依頼を断って楽しむのも自由度の話
B:依頼を断って楽しむのは自由度の話じゃない。エンディングが一本しかないのが自由度の話
C:依頼を断って楽しむのも、エンディングが一本しかないのも自由度の話じゃない。ラスボスの倒し方が一個しかないのが自由度の話
D:依頼を断って楽しむのも、エンディングが一本しかないのも自由度の話じゃない。ラスボスの倒し方が一個しかないのが自由度の話じゃない。途中で入手できるスキルが一個しかないのが自由度の話

人によって違います。「いいやそんなことない!」って思う人もいるかもしれませんが、無数にある意見をまとめると、人によって自由の解釈は違います。
Bの意見だって、『一本道シナリオ問題』みたいな話もされていますが、人から見たら自由度の話です。
今回の記事では、『幅広く、最低限のモラルとしての自由度』の話をしました。

なので例にするとキリがないです。
依頼は従うけど、探索中は自由にやる』など、自分の中で『どこまで自由にするか』のバランスを決めてやるのもいいし、一緒にプレイする人たちや、そのTRPGの種類、今回のシナリオなど、様々な関係性によって決めてください(世紀末な世界観なのに、お上品にプレイする必要はないということです)

常にバカなことしている友達同士なら、本筋から離れて、ふざけまくってもそれはそれで楽しいですし、プレイヤーにアドリブ性を求めているTRPGとかもあります。
ただ、周りの関係性などを考えずに、自分の好き勝手なことをやってしまうとそのTRPGの場は崩壊します。

なので、基本的にはゲームマスターの指示に従った方がいいのですが、「自分のやりたいことと違う!」って場合は、色々なTRPGを遊んでみたり、色んなTRPGイベントに顔を出すのをおオススメします。

好みのTRPGを探すというのは自由なので、そこは自由に探してみてください。なんなら自分で作るのも自由です。ただ、自由には責任が伴うのでほどほどに!

と、無理やり自由に締めて終わります。

よろしければこちらの記事もどうぞ→クトゥルフで理想の探索者ってどんなの?

==ルールブック==

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